3 次元空間 ℝ3 内の原点を中心とする半径 1 の 2 次元球面 S2 を考えよう.
接ベクトルと接ベクトル場
すると,S2 の各点で接ベクトル(S2 に接するベクトル,あるいは S2 の接平面方向のベクトル)を考えることができる.点 (x, y, z) ∈ S2 における接ベクトルはベクトル (x, y, z) に直交するベクトルとして特徴付けられる.接ベクトルのなす空間のことを接ベクトル空間と言う.つまり点 (x, y, z) における S2 の接ベクトル空間 T(x,y,z) は次のように書ける.
S2 の各点に対して接ベクトルを対応させる対応 V: S2 → ℝ3(つまり,各 (x, y, z) ∈ S2 に対して V(x,y,z) ∈ T(x,y,z) と仮定している)が連続写像であるとき,V を S2 上の接ベクトル場と言う.物理学では流体の流れを表すときなどに接ベクトル場が使われる.地球上の風の流れなども S2 上の接ベクトル場と考えられるかもしれない(実際には大気の層には厚さがあるので風の流れが S2 上の接ベクトルと言い切るのは不正確だが,ここではあまり深く考えないことにする).
接ベクトル場としてどのようなものがあり得るか考えるとき,連続でなければ好き勝手なものが取れるが,実際には連続性を仮定しているのでかなり制限がある.そこで次の問題を考えてみよう.
問S2 上の接ベクトル場であって零点を持たないものは存在するか?
ここで接ベクトル場 V の零点とは V(x,y,z) = 0 となる点 (x, y, z) ∈ S2 のことである.接ベクトル場の定義から「連続」を除いてしまえばもちろん答えは「存在する」である.しかし連続性を仮定した場合,この問の答えは実は「存在しない」となる.「必ず地球上のどこかの地点では風が吹いていない」というようなことを意味しており,にわかに信じがたい答えかもしれない.この事実には Euler 数という位相不変量が関わっている.このことを以下で見てみよう.一般の空間(正確には向き付けられた連結閉多様体)に対し,次の定理が知られている.
Poincaré–Hopf の定理接ベクトル場の零点が全て孤立しているとき,零点の指数の和はその空間の Euler 数と一致する.
実はこのことから,Euler 数が 0 でない空間上の接ベクトル場は必ず零点を持つことがわかる.以下で接ベクトル場の零点の指数と Euler 数を見ていくことにする.接ベクトル場の零点が孤立しているとき,その周りの様子は例えば以下のようになっている.
零点の指数
矢印は零点(中央の点)の周りの接ベクトル場の向きを表す
接ベクトル場の零点の指数とは,零点の近くを反時計回りにまわるとき,接ベクトル場が反時計回りに何回転するかを符号付きで数えたものと定義される.例えば上の図だと左の零点の指数は 1 となり,右の零点の指数は −1 となる.なお,「反時計回り」かどうかは S2 を内側から見るか外側から見るかによって変わるので,ここでは「外側から見て反時計回り」と約束しておく(これは「多様体の向き」を決めることに対応する).
Euler 数
三角形を貼り合わせて得られる図形 K の Euler 数 χ(K) とは,その図形に現れる頂点,辺,面の個数を次のように足し引きして得られる数のことである.
このような図形と同相な位相空間 X の Euler 数 χ(X) もこの式で定義する.このとき,位相空間 X に対し異なる三角形の貼り合わせ方 K1, K2 が存在すれば,χ(X) の候補として χ(K1) と χ(K2) の少なくとも 2 通りがあるが,実は必ず χ(K1) = χ(K2) となることが知られている(Euler 数の位相不変性).
今我々が考えている図形は 2 次元球面 S2 であった.三角形を貼り合わせて得られる図形であって S2 と同相なものは正多面体などがある.ここでは正四面体を考えよう(正八面体などでもよいが).正四面体の頂点の数は 4,辺の数は 6,面の数は 4 なので,S2 の Euler 数は次のように計算できる.
結論:S2 上に零点のない接ベクトル場は存在しない
さて,ここで Poincaré–Hopf の定理を思い出そう.S2 上の接ベクトル場の零点が全て孤立しているならば,その零点の指数の和は χ(S2) = 2 とならなければならない.もし S2 上の接ベクトル場であって零点を全く持たないものが存在すれば,その零点の指数の和は 0 となる.これは Poincaré–Hopf の定理に反する.したがって,S2 上の接ベクトル場は必ず零点を持たねばならないことがわかった.
以上では Poincaré–Hopf の定理を用いて S2 上の接ベクトル場は零点を持たねばならないことを見た.Poincaré–Hopf の定理の証明は例えば以下のような流れで証明できる(詳細については適当な教科書を見られたい).
向き付けられた閉多様体 M を ℝN に埋め込み,管状近傍の境界の Gauss 写像の写像度と接ベクトル場の指数の和が一致することを見る.これより接ベクトル場の指数の和は M のみで決まるので,都合のよい接ベクトル場に対して計算すればよいことがわかる.三角形分割を使ったり Morse 理論を使ったり色々な接ベクトル場の取り方があり得るが,いずれにせよ指数の和が Euler 数 χ(M) に等しいことが確認できる.
Euler 数はホモロジー群と関係の深い位相不変量であり,Poincaré–Hopf の定理は代数トポロジーの有名な応用の一つである.