金曜日の関数方程式セミナーも長くつづいたので、 これまでの流れや参加者のことをすこし振り返っておくのも 意味があることかも知れません。
起源は九大理学部数学科の応用解析学教授だった柴垣和三雄先生が、 それまでのいくつかの準備的セミナーを発展させて開催された 金曜セミナーに発します。1968年でした。 柴垣先生は1970年に退官され、その後、教養部所属の 小野昭先生がリーダーとなって六本松キャンパスでセミナーが 続けられることになりました。六本松に移ってからの常連参加者は、 中村幹雄(佐賀大→熊本大)、池辺信範(熊本大)、 西郷恵(熊本大→福岡大)、南部徳盛(九大→富山医薬大)、 加藤久子(九大)、古庄康浩(九州産業大→佐賀大)、 蛯原幸義(九大院→福岡大)、水谷裕(西日本工大)の諸氏と 中尾(九大院→九大)でした。鈴木一正氏(福岡教育大)、 楢崎隆氏(九大院→東海大)、金子譲一氏(九大→琉球大)らは後、準常連。
当時は自分たち仲間の持ち回りで、論文紹介や研究成果の発表を 各二週連続で行っていました。解の正則性に関する話題が 多かったように思います。1979年以降、6,7人で夏休みには 僻地(?)セミナーももっていました。 「九州における偏微分方程式研究集会」は蛯原、古庄、中尾が 相談して開催、1983年の2月が第一回。
1986年秋に川島秀一氏が工学部に赴任され、セミナーに 参加されるようになりました。最若手メンバーです。 古庄氏、川島氏それに小生と、帰りによく博多駅付近で 時間をつぶしたものです。1990年、小野先生が退官。
その後、永井敏隆(九州工大→広島大)、 宮川鉄朗(九大→神戸大)、隠居良行(九大)、 仙葉隆(福岡大→宮崎大)、星野弘喜(福岡大→藤田保衛大)、 小野公輔(九大院→徳島大)、伊藤一男(九大院→北大)、 大河内広子(徳山女子短大)、小薗英雄(九大→名古屋大)の 諸氏らも加わるようになってにぎやかになり、 話題も豊富になってきました。 セミナー後の時間つぶしも恒例となりました。 一方で何人かの方々が忙しさから足が遠のき、また、移動もありました。
1994年に九大大学院数理学研究科(院)が発足。 1996年初夏に蛯原氏、1997年立春のころに古庄氏が 相次いで亡くなられ、悲しみが覆いましたが、 その前後、岡田真理(山口大)、小林孝行(九州工大→佐賀大)、 井口達雄(九大→東工大)、黒木場正城(福岡大)、 西畑伸也(福岡工大→東工大)、山田直記(福岡大)、 内藤幸一郎(熊本大)、菱田俊明(熊本大→新潟大)、 中村能久(熊本大院)、小原康博(八代工高専)、 福本康秀(九大)、小川卓克(九大→東北大)、 北直泰(九大→宮崎大)、伊藤一男(九大)、 三沢正史(熊本大)、諸氏ら、若手、中堅、 弱古手の研究者が加わり、九大院生も参加して、 さらに盛況を呈するようになりました。現在では、 科研費のおかげで、講演者の半数以上が全国からの招待者になっています。
2004年、加藤久子氏退官。前後、新居俊作、栄伸一郎、 水町徹の3氏が九大に赴任。
現時点(2004年秋)での常連メンバーは 川島秀一(九大)、 栄伸一郎(九大)、福本康秀(九大)、隠居良行(九大)、 水町徹(九大)、新居俊作(九大)、山田直記(福岡大)、 黒木場正城(福岡大)、内藤幸一郎(熊本大)、 三沢正史(熊本大)、中村能久(熊本大)、小林孝行(佐賀大)、 本山(岡田)真理(山口大)と中尾(九大)です。 他に準常連として、吉川敦、伊藤一男、中木達幸、木村正人、 井古田亮、丸野健一(いずれも九大)、 梶木屋龍治(長崎総合科学大)、小川卓克(東北大)の諸氏が参加。
(中尾慎宏 記)